UTAKATADO PUBLISHING | B|O|O|Ks
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New release & Recommendations

©NAOHIKO TOKUHIRA

Rabit Girl & Black Rimmed Eyeglasses / Yukinori Tokoro

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Rabit Girl & Black Rimmed Eyeglasses / Yukinori Tokoro

前作アインシュタインロマンスの写真集が出版され、個展ラッシュもピークを過ぎた 2015 年の 10 月 2 日に、 やっと娘(当時 7 才)との時間が持てるようになった。数日後、夏物と秋物をクリーニングに出すために娘と 二人で大きな袋を抱えて出かけることになった。ところが、その洗濯物の量があまりに多く、クリーニング店 の人に「伝票作るのに 20 分以上はかかりそうよ」と言われたので、その辺をぶらぶら散歩しよう手を繋いで 歩いていた。

「そこ曲がると通ってる小学校だよ。」 娘は、ある通りの角を目指して僕の腕を引っ張った。そこは、トタンの壁に光が反射し、手前の草むらに光が 絶妙にあたる美しい光の場所だった。この場所に出会わなければこのシリーズは生まれなかっただろう。これ を天の配剤というのだろうか。

「あっ、こっちゃん、光の道ができてるよ、壁は舞台みたいだね。」 「ほんとだね!」娘もバレエを習っているからかすぐ理解したみたいだった。 「道を走って飛んで、舞台で降りてごらんよ。」と僕がいうと、娘はすべてを瞬時に理解して、走って飛ぶのだっ

た。

その時、秋物のコートに dp1-Quattro が入っていたので、1 作品目はこうして生まれたのだ。当時は、散歩が てらに娘と興じる撮影に「お散歩ジャンプ」と名付けていて、特段本格的なシリーズにするつもりはなかった のだけれど、この作品を見た友人のプッシュもあって六甲国際フォトフェスティバルにレビューしてもらいに 行ったら、アメリカ、ドイツをはじめ世界中からきていたレビュアー達に、One Second sibuya やアインシュ タインロマンスを含め全員が概ねいい評価をしてくれた。(「お散歩ジャンプ」は、のちにニュアンスが日本語 以外で言語化しにくいという理由もあり、Rabbit Girl and Black Framed Eyeglasses うさぎガールと黒縁眼鏡 に変更した。)このシリーズは、娘が 8 才になるまで撮るつもりだ、とドイツ人に言ったら、大丈夫だうちの 娘は 9 才でもパパってハグしてくるぞ!と返事をされて、娘がその気の間は撮ろうと決意して、今も撮っている。

この作品も、他作品と同様、僕にとっては時間がテーマだ。これには二つの意味がある。一つは、僕の作品づ くりの特徴である撮影技法上の時間要素。そして、人生に渡る時間的概念だ。母と娘は生まれる前から一緒で、 生まれてからも女性というくくりで仲間や友達みたいに不可分だ。一方の男親の僕は、2 人のために社会に出 て働いている。そういった社会的要因もあり、子供、特に娘がパパと触れ合う時間は特に少ないように感じる。 所詮父親は異性なのだ。無邪気にパパとお散歩したーい!と言ってくれる時間は人生の中では一瞬なのだ。光 の中を何度も走って思いっきりジャンプをしている娘の姿を見ていると、ああ、彼女にはこれから長い人生が あるんだな、と素直に感じ入ってしまう。ある意味、残された娘の時間を羨ましいと感じる少し疲れ気味の僕 がいるわけだ。僕には、もう彼女ほど元気に飛び回る元気も、無限に広がる未来もないのだ。

僕はこのシリーズを成長した娘に捧げたい。そして、僕と同じような思いを共有する親や子供達にも届けたい 作品集だ。僕の思い入れが、みんなへの共感として伝われば、これにまさる喜びはない。

所 幸則

Japanese Housing / Naohiko Tokuhira

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Japanese Housing / Naohiko Tokuhira

第二次世界大戦や繰り返される台風、震災などの自然災害と向き合ってきた日本。うさぎ小屋と揶揄された庶民の住まい、戦後の経済成長を見守ってきた大規模団地、そして山手の一軒家。

世界に類を見ない住宅構造は、こういう特殊な条件から生まれたものだ。

徳平尚彦は都市の構造を撮影する写真家だ。この写真集では日本の住宅事情の複雑さを撮影することで新たな都市の構造を明らかにしている。

 

du Portugal, flôlement / Patrick Taberna

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du Portugal, flôlement / Patrick Taberna

ポルトガルから、軽く触れること

写真家Patrick Taberna にとって、旅とは生きることだ。旅とは、ともに歩

む道のりであり、伴侶でもある。旅は道すがら出会う風景の煌めきの一瞬だ。

写真を撮ることとは何か。何が写真家をそこに向かわせるのか。

映画やテキストに触発されて訪れた街。そこで見つけた風景。このシリー

ズには、のちの彼の作品をなす方法、企み、独特の写真づくりが随所に見

てとれる。

1995 年のポルトガル。この地において、彼は写真家として生きていく決意

をする。みずみずしい感覚が隅々までいきわたるパトリック・タベルナの

ポルトガルシリーズをぜひご覧ください。

 

 

The View Behind / Moeko Abe

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 背中の景色 / 阿部萌子

Publisher: うたかた堂 / UTAKATADO Publishing

September 2015

First Edition / Edition 500

 

 

訪れたことのない家族の故郷は、自分にとって一体どんな場所なのだろう? 
祖父の故郷である福岡県の筑豊地方へ初めて行った時、そんな事をふと考えた。 
果たしてこれは「旅行」なのだろうか。それとも「帰郷」になるのだろうか。 
この答えを探すべく、時間を見つけては祖父が暮らした土地を巡っている。

その土地で写真を撮り歩いていると時間を浮遊しているような気持ちになることがある。
それは何かを思い出しているような感覚とでもいうのだろうか…

訪れた場所でその体験を重ねる内に「私」というものは〝経験を通した記憶〟を持つ以前に、
受け継がれた記憶が幾重にも重なって存在しているのではないかと思うようになった。 
私たちの体が誰に習う事もなく呼吸をしているように無意識の中に存在する〝受け継がれた記憶〟があるのだと。

通り過ぎる記憶の断片を感じるようにシャッターを切る。 
ふと振り返った私の後ろには、確かに「故郷」の景色が広がっていた。

What kind of place is a hometown that you’ve never visited? 
I had this thought when I first visited my grandfather’s hometown in the Chikuho Region of Fukuoka Prefecture.
Was this a “trip”? Was I going “home”? 
To search for the answer, I spent some time to explore the land where my grandfather lived.

Time seemed to float by as I was walking this land with my camera. 
It was as if I was remembering something… 

I came to think that rather than “myself” being made of the memories from my experiences, 
my existence was an accumulation of “inherited memories”.
These “inherited memories” were not something that could be learned, but like breathing, they existed unconsciously within ourselves. 

As these pieces of memories passed by, I pressed the shutter. 
When I turned and looked behind myself, I realised the view of my “hometown” had grown.

BLINK MEMORIES -La Habana / Seiji Yokoshima

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Publisher: うたかた堂 / UTAKATADO Publishing

10.July.2015

First Edition / Edition 500

 

 

人々の記憶に残るような特別な出来事ではなく、記憶に残らないような普段の街中の見過ごしがちな一瞬一瞬にこそ、そこでの文化や習慣、街の表情などが色濃く反映されていると感じます。そして、見過ごしがちな一瞬一瞬を確認する為のツールとしては、目の前の今を瞬時にコピー出来てしまう写真という媒体が最も適していると思います。街中には様々な情景が溢れていて、ぼくは好奇心の塊となり、まばたきをするような感覚で目の前の今にシャッターを切ります。まばたきを止めることが出来ないように、シャッターを切ることも止められません。

なぜなら、2度と繰り返すことの出来ない今というこの瞬間は、すべてが等価で愛おしく、無視するにはあまりにも魅力的すぎるからです。

I feel it’s not in the extraordinary memorable events, but in the ordinary forgettable passing moments on the street that you find culture, customs, and the city’s expression reflected most colorfully. I also think that as a tool to verify those forgettable passing moments the photograph, which copies the present before your eyes, is the most suitable medium. The spectacles that overflow the city streets turn me into a bundle of curiosity. Like the blink of an eye I click my shutter on the present before me. Like the blinking of an eye the shutter cannot be stopped. This is because everything in this moment that will never come again is equally precious, and too enchanting to ignore.